鷹風 

         
                     
 

まるで、肩で風を切るように歩いていく群集が雑多にさんざめく夕暮れの表通りを、一本だけ横手にそれる。

そうすると、先ほどの賑々しさが嘘のように、ひっそりと偲びやかな明かりが軒を連ねる華街の奥座敷が顔をのぞかせる。

ぽつり、ぽつりと下がる提灯の明かりと、格子の隙間からほんのり漏れてくる灯篭の灯。

打ち水で湿った漆黒の石畳が反射する朱の色を辿るように、市丸ギンは、ふらふらと細い路地にさ迷いこんだ。

つれは、一人。

細面の顔に、金の髪をした彼の副官。

長身の市丸より頭ひとつ小さい細身の彼は、心持ちうつむき加減のまま、自身を花街に誘った上官の後ろを、半歩ほど下がって付いてきている。


「なあ、イヅル?」

「はい」

振り向かぬままぞんざいに声をかけると、いつものようにくぐもった様な優しい声が、後ろから返ってきた。

「ここは、そげな、硬い顔して、歩くトコやないで?」

「、、ハア、、」

市丸よりもはるかに若年であるとは言え、現世に生まれ付いてから、すでに半世紀はたっていようはずの青年だが、彼の副官は今もなお、変声期をすぎたばかりの少年のようにうぶな面をみせることがある。

いくら性根が硬い人間とは言え、花街に来たのが初めてというわけでもあるまいに。
こわばった表情を崩さない様子がおかしく見えて、つい、からかってみたくなった。


「さっき、無理やりポン引きに腕引っ張られたんが、そないに怖かったん?」

薄笑いを浮かべて振り返ると所在なげに両の手を揉みしだいている副官の姿が目にはいる。

「いえ、どうにも、、こういう場所は苦手で、、」

「ハァー」

わざと、小ばかにしたような口調で相槌を返すと、俯いていた白い面にさっと朱がはしった。

「、、綺麗だとは、思うんですが、、」

「なあ、ちと、上見てみ?」

市丸は、人差し指で、すい、と中空を指し示してみせる。

四階ほどの高さに設けられた吹き抜けの高殿。

ほのかな明かりとともに、風に乗って途切れ途切れ、たおやかなシルエットが歌う地歌の切れ端が、もれ聞こえてくる。

「、、、茶音頭、ですね」

呟くように言った青年の顔が、橙の明かりにほうっと緩んだ。

「イヅル、音曲の類は心得あるよなあ?」

「ええ、まあ、手習い程度なら、、、」


「ちと、此処で歌ってみ?」

「此処で、ですか?」

「せや」

「いえ、でも、道の真ん中ですし」

「小さい声でええから」

そういって、また、市丸は、中空の高殿を仰ぎ見た。

「そろそろ佳境や、早よ」

細めた視線を、傍らの副官に向けることなく、ただ、強い口調でせかしてみせる。

「、、、、ハイ」

しぶしぶながらにうなずいた青年は、ほんの少し、曲の継ぎ目を待ったのち、
三味線の拍子にあわせ、か細い声で歌い始めた。





古い、恋歌だ。


途切れ、途切れに聞こえてくる高楼の高音と交じり合う、傍らの男声が、耳にやわらかく響く。

細い格子の隙間に、すかして見える明かりを、ぼんやり眺めていると、ふと、その橙に朱金を混ぜたような色合いが、初めてあでやかな華街に足を踏み入れた時より、ずっと前、ほんの子供の頃、口いっぱいにほおばった赤い柿の実に、よく、似ていたことを思い出す。

薄汚れた着物を巻きつけて灰燼のなかに遊んでいた、あの頃。
いわし雲の飛ぶ初秋、ごくまれに手に入った切れ端を、ゆっくりとかみ締めて、
まるで、甘い、甘い、あの味が、この世の幸福全てだと、思っていた事を思い出す。










カサリ



深く茂った木立の中は、草い切れの青い香りに満ちている。
ほんの少し前、見張り番が合図をよこした。

カラスの鳴きまねは、家人が目指す裏庭から、姿を消したことを示している。

そろそろと、身を潜めていた草むらから顔をのぞかせた市丸ギンは、周囲に人影のないことを確認し、転げるように、庭先へと突き出されている廊下の下にかけこんだ。

一瞬、全身がさらされる危険をおかしてでも最短コースを選んだのは、出来うる限り進入時間を短縮するためだ。

最下層でモノを盗んで生きることは、常に死と隣り合わせ。

それでも、霊圧となって自然ともれていく生気を補うため、どうしても一定の周期で食料を手にいれる必要があった。


五つの年に病で倒れ、優しげな顔をした死神に手を引かれてここへ来た。
両手をぎゅっと握り締めている自分に、ポンッと、刀の柄を押し付けた彼の眉間が、心なしか苦くゆがんでいた事は、今でもなぜか、はっきりと覚えている。

死後の世界の、その下層。
気が付いたときには、一人、すきっ腹を抱えてさ迷っていた。

此処では、水を手に入れることすら用意ではない。
ただ、それでも、わずかな水さえあれば飢えることなく生きていける。

そう、一人の老人が言ったとき、では、なぜ自分は水だけで腹が満たされぬのかと市丸は問うた。

老人は、その答えを知らなかった。
だが、のちに霊力を使う人間は、失われる生気を補うため食料を摂取しなければ生きられないと聞かされてから、あえて、同種の人間を集めて盗みをするようになった。

細々と生き延びる事もできないなら、数を集めて派手に生きれば良い。
そう、思った。

死ぬ事など、怖くはない。
飢えて再度の死を待つよりは、せめてこの身を蝕む力を使ってでも、良い思いをして死んだほうがいい。



今も、見張りとして数人の仲間が隠れているが、先日拾った新入りはその中でも飛びぬけて機転が良かった。
焼け野原で転がっているのを見たときは、すでに息絶えているかと思ったが、あれは、思わぬ拾いものだったと、床下を駆け抜けながら、市丸は、あどけない口角を上げて哂う。


目指す軒下まで、あと少し。
薄暗い床下から、そろりと顔をのぞかせると、裏庭の高いひさしに吊るされた渋柿の束が目に入る。
まだ、干してから日も浅いようだが、そんなものは自分たちで加工すれば済む事だ。

ゆっくりと、周囲の気配に耳を澄まし、何の物音もしない事を確認する。
手じかな柱にとりつくとするするとよじ登り、細い腕をいっぱいに伸ばしてぷちりと、一本の房を切り取った。

掌に落ちたその重さが、思いのほかずっしりとしている事に、顔をほころばせる。
これなら一本で、十分。

そう判断して市丸は、取り付いていた柱から地面へと飛び降りた。
一張羅の着物に白い粉が吹くのも構わず、手にした獲物をしっかりと抱え込む。


ひときわ大きな鳥の鳴き声が聞こえたのは、正にその瞬間の事だった。


警告。



即座に床下へもぐりこみ、来た道を取って返して駆け抜ける。
罠を張られていたのか。
それなら同じ道を使うのは、危険すぎる。

そう考えて裏門へ通じる勝手口に、経路を変更する。

さほど広い敷地ではなく、目指す門は、すぐそこだ。
ほんのわずかな隙間から顔をのぞかせ、周囲をうかがうと、市丸は、一気に木製の小さな門に取り付いた。

小さな鍵を針金でこじあけ、かんぬきを引き抜く。
見張りにおいていた仲間は、すでに逃げただろうか。

するりと、細く開いた扉から身を乗り出した瞬間、
視界が真っ暗になった。

思い切り引き倒される衝撃の中に、布状の何かをかぶせられたのだと悟る。
もがく間もなく地面に引き倒され、怒声とともに数発のつぶてが降ってきた。

「ふざけんじゃねーぞ、この餓鬼っ」

おそらく、中年の男の声。
とっさに腹をかばったものの、細い手足を縮めただけの防御では、所詮打撃を受け流す事など不可能だ。

(やっぱ、同じとこ、二度やるんはアカンかったか、、)


暗闇の中、冷静に呟いて市丸は、ふいに、体の力を抜く。
気絶に見せかけて、油断をさそう。

数秒、殴られる衝撃をこらえると、馬乗りになっていた男の手が緩んだ。
右肩が地面に押し付けられているなら、おそらく、左の掌に当たっているのが男の左足。

瞬間、全身の気を左に集中する。


「痛えっ!」

掌に集めたかすかな霊圧を、そのまま男の内腿に押し付ける。
愕いて腰をうかした男の隙をつき、燃え上がった布袋を、両手で引き裂いた。

残滓を体に巻きつけたまま瞬時に飛び上がり、駆け去ろうとする市丸の足首を、男の手が捉える。

「チッ」

舌打ちをした瞬間、再び引きずり倒されたその弾み、ひたすら握り締めていた柿の束が目の前に転がった。
地面に押し付けられた口に、入り込む砂が苦い。

「この野郎!!」

大きく腕を振りかぶる気配に衝撃を覚悟して、目をつむる。


「ギン!!」

高い叫び声が聞こえたのは、すぐ真横。

「乱、来たらアカン!」

叫んだ瞬間、目の前が砂埃で霞み、すぐ頭上の空間で、強い霊圧が弾けとんだ。

惜しげも無い攻勢に、市丸を押さえつけていた男の手が緩む。

(そないに霊力出したら、死ぬで)

声にならない声をあげる市丸を、知ってか、知らずか、上体を起しつかみかかろうとする男の体へ、乱菊は、逆に頭から突っ込んで光球を叩き込んだ。

巻き上がる灰燼に、埃でくすんだ金の髪が踊る。
面を上げると、まるで、鬼のような形相で口元を引き結んでいる乱菊の姿が、目にはいった。

ひるみながらも、手を伸ばそうとした男のかいなを潜り抜け、乱菊は、倒れているギンの腕を掴んで引き起こす。それにあわせてギンは、男の顔面に、残る力全てをこめた目くらましの一撃を放った。


ポンッ


かすかな音とともに四散した霊圧が、男の眉間を叩き、思わぬ衝撃に、巨体はそのまま後ろへ倒れこむ。

男の体が地面に叩きつけられる音を背後に、二人は茂みの中に飛び込んだ。

追手は、来るだろうか。

いかほども行かないうちに、足のあがらなくなってきた乱菊の体を、半ば引きずるようにして走る。

飢餓状態からさらに限界を超えた霊力を使えば、死が目前に迫ってくるのは明示なこと。
いつもなら市丸に劣らない乱菊の走る息が、すでに上がっているのが気がかりだった。
ちらりと見た顔に刻まれる疲労の影は、すでに濃く、それでもなお、生への執着に目をらんらんと光らせている様が、まるで鬼の子のようだ。
ころげるように駆ける心中で、市丸は、ぼそりと、そんなことを思う。

そういえば、先の男も、こんなカオをしていた。

枯れ果てた地面から立ちのぼる陽炎のように、
一度、死の門をくぐってこそ、いっそう生々しく迫る生への渇望。


それは、ひどく醜悪なようで美しく、
ひとたび、身体を浸せば身を焦がす。



市丸は、横に並ぶ、ぎりぎりまで研ぎ澄まさて眼光も落ち窪んだ横顔を、ちらりと、見やった。

ふと、頬をゆるませて、ぼそり、とつぶやく。


「乱ちゃん、、鬼ババみたいや」


殴られた。


「いったァ!」

「誰が、鬼ババなのよ?!」

「いや、誉めたつもりやってんけど、、」

「鬼ババのドコが誉め言葉?!」

「アハハハハ」

怒った顔がおかしくて、つい、、腹をかかえて笑い転げる。

「、、バカ」


怒ったはずみ、張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、乱菊は、地面にふらりと崩れこんだ。
つられて市丸も、肩で息を弾ませながら、木の根元にしゃがみこむ。

「、、アカン、、柿、、置いてきてしもうた」

「そんなのより、、命のが、大事でしょ」

「、、、、、、、せやな」


周囲の木立を見回しても、追手のくる気配は、感られない。
だが、死がまじかに迫るほど消耗した体を考えれば、むしろ、危険を犯してでも、逃した獲物のところへ取って返すべきなのか。
市丸は、荒い息を抑えながら走ってきた藪をにらみつける。


「ギン?」

「なんや?」

「、、、ほら」

呼ばれて振り返ると、うずくまった乱菊が、白い歯を見せて笑っていた。
その、手のひらに小さな干し柿が、ひとつ。

「さっき、拾っといたのよ」

「、、、乱ちゃん、、、けっこー、抜け目ないなァ、、」

「だって、アレだけやっといて何もなしじゃ、わりにあわないじゃない」

そういって乱菊は、片目をつぶってみせる。

「それも、そうやけどなァ、ホンマ、、君、ぬけめないわ」

あきれたようにつぶやく声の語尾が、こみ上げてきた笑いにゆれた。






あの時、手の中にひとつだけのこった干し柿は、合流した仲間たちと分けたあった覚えがある。
結局、小さな果肉は、みなでわければほんの指先ほどの大きさしかなかったけれど、
今もなお、舌先にじんわりと染みた渋みの残るあの味を、なんとはなしに覚えている。

やせ衰えて死ぬも、
殴られて死ぬも、結局は同じこと。

そう、思っていたころの記憶でも、夜の闇に揺れる朱の色に、ふと、呼び覚まされるのは、血の色でなく、柿の色。


・・・縁は 鎖の 末永く 一千代 万代へ・・・

夕闇に明かりのともる花街で、
おだやかな声のうたう、どこかのどかな古い恋歌。

今の自身と、あの頃と、一体なにが違うのか。
一言でいえるものではないにしろ、引き比べてみれば、何かが違う。

みなで、車座になりながらほおばった、柿の味。

手をとって走り抜けた雑木林の草いきれ。

そんな記憶の積み重ねの先に、今、自身が歩いている道が、ある。

ゆるやかな斜陽の道。
手のうちに入りきらない何かを追って走る、たそがれの道が、

いつのまにか、ボクの前に、のびた。




「大事な人がおると、死ぬん、怖なるやろ?」







Happy Birth day.









 市丸誕生日、、の予定だったSS(笑)  
市丸隊長のピッキング能力は、きっと子供のころに培ったんじゃないかしら?とか、
死ぬのが怖くなったってことは、それ以前、、、あんなに邪気のない顔した仔ギンちゃんも、
さりげに、死ぬのなんか怖くない、なんて、アナーキーなこと考えてたの?!!とか、

そこらへんから出来た話でした☆

子供時代でも、やっぱ、ギンはギンなんだね。っていう。
エンジェルスマイルの下は、やっぱり、黒かったのかもしれません(笑)